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七夕と「杜の都」と結弦くん


お写真、お借りしています。
お写真、お借りしています。

 

おねえさんへ

 

七夕の短冊、私も結弦くんに送りましたよ。

それにしても、結弦くんには星空が似合うこと!

 

そう、子どもの頃、お風呂あがりに庭のデッキチェアに寝そべって、

心地よく体が冷えていくのを感じながら

長いこと星空を眺めたことは忘れられない。

 

本当に降るような星空でしたね。

見ているうち、自分が空の中に浮かんでいるかのような感覚と

それから、自然との一体感を感じてた。

 

そして虫たちの大合唱!カエルの声も。

 

今思うのは、わたしたちはなんて豊かな場所で

子ども時代を過ごしたのだろうということ。

あの自然の美しさ、

その大自然に包まれる安心感を知っているということは大きいと思う。

 

わたしたちは、たぶんたったひとりでいるときも、

本当はひとりではないんだと思うの。

流れる水の音や、森や風のささやきが、いつもわたしたちを包んでいた。

 

わたしたちとは時代がだいぶ違うけれど、

結弦くんが暮らしていた仙台は

「杜の都」というぐらいだから、緑豊かな場所のはず。

「杜」は単に「森」を指すのではなく、

鎮守の森を指すそうだから、ふつうの森以上に

神々の存在を感じられるような場所なのかも? って、これ勝手な想像ですが…。

 

 

…さて、想像ではいけないと思い、調べてみると…。

やはりこの方、伊達政宗公でした。

 

今から400年前の江戸時代、政宗公は家臣たちに

飢餓に備えて屋敷内に栗・梅・柿などの実のなる木を、

隣との境には杉を植えるよう薦めたそう。

こうしてできた屋敷林と、寺社の鎮守の森、

広瀬川の河畔、青葉山の緑とで仙台は街全体が緑に包まれていたそう。

この姿は昭和20年の仙台空襲前までは残っていたけれど、

空襲で街の緑は焼けてなくなってしまったんですって。

 

戦争によって、400年も保たれてきた豊かな美しい緑が失われてしまったんですね。

本当に残念なこと!

 

それでもここは「杜の都」だという意識が、仙台の方たちには強かったのでしょう。

その後の復興により、「杜の都」は公園や街路樹などの緑に

変わっていったのだそうです。

 

今も結弦くんのパレードなどで見る仙台の街は、とても緑が美しい印象よね。

 

それにしても、結弦くんのおかげでわたしたち、

今まで知らなかったことをいろいろ学ばせてもらっているんじゃない?

伊達政宗公については、わたしも書きかけの文章があるので、また送りますね!

 

西川のおふとん、絶対気持ちがいいと思う…。