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ヴァンセンヌの森にある美術館


 

かおっちゃん

 

ヴァンセンヌの森というと、広大な森と池、水族館があって、

パリを離れずにオゾンを満喫したい時には絶好の場所。

 

そしてここには、とても興味深い建造物もあります。

”国際植民地博覧会”会場として1931年に建設された”ポルト・ドレ(黄金の扉)宮殿”、

現在の移民史博物館です。

 

まず、これが1931年の”国際植民地博覧会”のポスター。

 

 

そして、”ポルト・ドレ宮殿”。外壁は見事なレリーフで覆われているの。

 

 

そして、”ポルト・ドレ宮殿”。外壁は見事なレリーフで覆われているの。

 

 

アフリカ、太平洋、アジアにまたがっていたフランスの広大な植民地。

その地に生活する人々の様子が精巧に彫られているのです。

 

 

そして”国際植民地博覧会”では、カンボジアのアンコールワットなど、

植民地各地の有名な文化遺産が原寸大で再現されたのだそうです。

 

 

”植民地博覧会”用アンコールワット。(お写真、お借りしています)

 

 

フランス国民に植民大国としての自国の偉大さを知らしめるための道具だったのでしょうか?うーん。気分は複雑であります。

 

 

 

宮殿の中に入ると、中央にはフレスコ画に覆われた、

吹き抜けのかつての大きな ” 祝祭の間 ”。

 

移民というと、若いころにはるばる外国からパリにやってきた芸術家の多いこと,

エコール・ド・パリをなした移民として、

イタリアからのモディリアニ、キリコ、ロシアのザッキン、

フランスに帰化したフジタなどの写真もありましたよ。

 

 

23歳の時フランスに居を定めて、

晩年はプロヴァンス地方で活動していたピカソ。

フランス帰化願いが戦中に却下されて、彼はずっとスペイン国籍だったとか。

 

 

 

これは、コンゴ出身のアーチスト、

シェリ・サンバによる『パリは清潔』。

 

パリは清潔、僕ら移民のおかげでね。ぼくらは犬の糞尿が嫌い。

僕らなしじゃあ、たぶんこの街糞まみれ。

 

って、移民の清掃員たちが、夜間パリを掃除している姿が描かれています。

 

今から30年前のこの作品の頃と、現状はまったく変わっていません。

 

 

 

 

こちらは”国際植民地博覧会”当時の植民相レイノーの間。

 

アフリカがテーマのフレスコ画と、

植民地の木や象牙を使って製作された家具が置かれて。

このほぼ円形のサロンが、宮殿左右両端にシンメトリーに2つあります。

 

 

歴史的建造物のレリーフと青空の両方を享受できるカフェテラス。

ふかふかの大きなソファと木のテーブルがどっしりとしていて、

居心地満点。

 

宮殿の足元にも、南国風スナックバーと巨大パラソル・長椅子がそろったテラスがあって、

こちらは夕刻も営業。

異国情緒たっぷりのお料理の食欲をそそるいい匂いがしていました。

 

 

移民抜きには語れないフランス。

この芸術作品そのものである宮殿にも、たくさんの歴史が詰まっています。

 

流行りのスポーツウェアを着た一見不良風の黒人少年10人ほどが、

この移民史博物館を見学していました。

 

かつてポルト・ドレ宮殿(旧植民地博物館)にあった植民地関連の美術品は、

今はケ・ブランリー美術館に移されています。

移民史博物館となった今、ここに展示されているのは、

フランスにきた移民が使ったミシンや楽器、手紙や写真、

年代別にパネルで説明された移民史。

テーマは深いものの、

目を引く展示品はあまりないと言っていいかもしれない。

 

にもかかわらず、

日常的に差別の対象となっているに違いない彼らは、物音一つたてずに、

移民の歴史に関する説明を読んだり、写真にとったりしているのでした。

奴隷貿易で潤ったフランスの港湾都市、2つの世界大戦でフランス軍兵士として

戦わせるために連れてこられた外国人たち、などの歴史・・・。

 

彼らにとって、

ここは「自分たちがなぜフランスで生まれたのか」の答えがあり、

かつ今現在の状況を考えさせずには置かない場所、のはず。

 

彼らがどんな理由で見学しに来たのか、

どんなことを思っていたのかは知る由もありません。

が、ポルト・ドレ宮殿の建築関連でここを訪れていたわたしは、

胸が苦しくなる思いでした。

 

 

おフランスは、いろんな側面を合わせもった、とっても複雑な国、

そして、ここはそれを如実に語っている場所なのです。