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ユヅル・ハニュウはやった

お写真、お借りしております。
お写真、お借りしております。

 

かおっちゃん

 

羽生くんが成し遂げた夢のような出来事を、やっと少し

訳したりできるようになりました。

まだ夢を見ているみたいだけど、

あの快挙からもう少しで2ヶ月経とうとしているのですね。

そして、まもなく仙台では祝賀パレードが行われるとか。

わたしもオリンピックみたいに、

ダイレクトで映像を見ることができるかしら?

 

今日は2月17日のエキップ誌、

フリー演技が終了して羽生くんの連覇が決定した時のものです。

 

 

ユヅル・ハニュウはやった

 

日本人は1952年以来初のオリンピック・タイトル防衛者になった。

表彰台を補うのはウノとフェルナンデス。

 

韓国に到着以来、いとも冷静だったユヅル・ハニュウが、

土曜日ついに初めて涙を流した。

それはそうだ。4回転4本を含む豊かなフリー演技により、

彼はオリンピック・タイトルを防衛することに成功したのだ。

これは、1948年と1952年のディック・バトン以来、

男子スケーターの誰も成し遂げることができなかったこと、

しかも、足首の怪我のため3ヶ月試合不出場の後のことなのだから。

 

フリー演技で首位でなかったのは確かだが、

ショート演技での先制点で十分だった(総合で317、85ポイント)。

ネイサン・チェンは、6本の4回転ジャンプを跳んだフリーでは

トップ(技術スコアが信じがたい127、94ポイント、合計215、08ポイント、

ハニュウは206、17ポイント)だったが、がたがたのショートのせいで

不本意の表彰台外だった。(5位、297、35ポイント)。

 

ハニュウ、彼は、ゆっくりと時間をつかっていた。

彼のなすがままになる観衆を前に、ヴィクトリーランをして。

日本の国旗が100ほどはあったにちがいない、

そして、おそらく彼は決して忘れないだろう、

彼のサムライのプログラムが終わった時のために用意されていた大喝采を。

 

 

23歳にして、彼は、すでに馴染みの、オリンピック金メダル獲得が2度目。

ショーマ・ウノは、彼の同国人だが、果たしてショート、フリーにおいて

最も危険な人物だった(総合306、90ポイント)。

ハヴィエ・フェルナンデスは、ブライアン・オーサーにつく

トロントでのリンクメイト、銅メダルを獲得して(305、24ポイント)、

スペイン初のフィギュアスケート・メダリストとなった。

表彰台の下には、中国人ボーヤン・ジン。彼はしばらく泣き続けた。

ソチ五輪銀メダリストのパトリック・チャンは、

団体戦でメダルは獲得したものの、

本人も自覚している技術点格差のため、個人は9位に終わった。