おねえさんへ
2014-15シーズンの結弦くんについて、前に書いた文章を送りますね。
忘れられないできごとでした。
多くのファンの方がそうだったように、
競技直前の6分間練習で、結弦くんとハンヤンくんが衝突し氷の上に倒れてから、
出場を決意したふたりが滑り終えるまで、
まったく生きた心地がしませんでした。
また、この会場で見ているはずのお母さんのお気持ちを考えると・・・。
これが自分の息子だったら、とても耐えられない。
すぐにリンクの上に飛んでいってしまいそうです。
結弦クンは五回の転倒がありながら、
銀メダルを獲得しました。
その夜は興奮のためか、
なかなか眠りにつくことができませんでした。
眠れないなんてことは、
めったにないんですけどね!
この中国杯の衝突事故のあと棄権せずに戦ったことには、賛否両論がありました。
これが日本人だ。サムライだ。と賞賛する声。
クレイジーだ、それほど重要でもない大会に選手生命をかけるものじゃない、という声。
こちらは海外の方に多い意見でした。
脳しんとうを起こしていれば、命の危険もある、
転んでも、転んでも、立ち上がり滑り続ける結弦くんの姿に涙しながらも
だいじょうぶなのか、こんな状態で滑っていいものなのかと、
スポーツのことを何も知らないわたしも
思ったものでした。
結弦くんは、なぜ滑ることを選んだのでしょう?
平和な毎日の中で時に忘れそうになるけれど、
人はいつだって死と隣り合わせにいるのだということを、
彼は東日本大震災で生き残ったとき、知ったのではないかしら。
ある意味、それから「死」というものは彼にとって
それまでよりもずっと身近なものとなってしまったかもしれません。
だから、
衝突のあと動けずに天井を眺めながら
「もうボクスケート終わりかな」と思ったとしたら、
どんなにフラフラであれ、滑ることを選ぶのは自然なことだったかもしれない。
人が何らかの役割を持ってこの世に生まれてくるのだとしたら。
スケートをすることで人々に希望を与える、
そのために生かされたのだとしたら。
滑るという選択肢しか彼にはなかったのかもしれない、
そんなふうにも思われるのです。
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